エグチデザインオフィス

プロジェクト

高校卒業後、東京の読売専門学校にて建築科を卒業し、その後、5年ほどバイトをしながら建築設計の勉強を
しました。当時は、就職氷河期の時代でしたし、コンピューターが使われ始めたときでしたので、 設計事務所への就職などなく、ただバイトと設計事務所の仕事に没頭していました。 その際にいろいろな方と巡り合えましたし、いろいろな方と話をするチャンスもあり、 大変貴重な体験もさせてもらいました。

読売専門学校でしたので、学費は新聞配達をしながら、自分で捻出していました。 毎日朝刊配達、夕刊配達、その後契約更新依頼の各家庭への訪問を行い、学生なのに勉強している時間が 有るのかなー、勉強していたのかな?と今思いながらも、充実しすぎた日々を過ごしました。 学生ですが、社会人として新聞会社では扱ってもらい、会社としての打ち合わせ、心構え 気の持ちようなど今でも当時の社員の方の話を思い出しては、励みにしています。

その後、東京都大田区蒲田にて設計事務所へ就職することが出来ました。 そこでは、住宅の設計、ビルの設計、防音工事の設計アシスタントとして、働かせてもらい、 1年ほどで退社となりましたが、初めての仕事としては楽しくさせてもらいました。

その後縁がありまして、東京都渋谷区代々木の設計事務所にて、約5年ほど働かせてもらいました。 人数が社長と私だけの2人体制でしたので、打ち合わせから、設計、建築確認申請など、 多くの事をさせてもらいました。 そこでは、主にマンション、事務所ビル、住宅、営繕事業、海外の図面引きなどさせてもらい、 そこで設計の大変さ楽しさ、面白さ、難しさを学ぶ事ができました。

次の就職先は、派遣業者でした。私はたまたま運が良く、大成建設への新宿本社へ派遣させてもらいました。 そこでは、住宅はなく、複合施設、商業施設、データーセンター、ホテルなどのアシスタントスタッフとして、 設計の手伝いをさせていただきました。 最初は開発前の駅前商業施設のテナント設計アシスタントを現場事務所で行い、毎日電車で1時間ほどかけて 現場事務所へ通いました。現場事務所でしたので、現場と設計と本社設計との関係を垣間見る機会が あり、私は現場が好きでしたので、少しずつ変化していってる建物に感動を得ました。

その後、タイミングよく新宿本社への移動となり、最初はインテリアデザインチームにてアシスタントを行いました。 設計でなく、インテリアでしたのでちょっと違う感覚でしたが、これも何かの縁と思い、いろいろと吸収させてもらいました。表現方法、提案方法やちょっとしたこだわりなど、今までにないものを教えてもらいました。

次は、複合施設のアシスタントになりました。こちらは最高裁判所近くの再開発でしたので、今までと規模が異なり、 いつまでやっても終わりの見えない作業を行いました。 毎日のように山手線の終電で帰り、その後1時間ほど歩いて帰るそれの繰り返しでした。 そこでは、設計提案、ガーデニング、構造、模型などなど多くをやらせてもらいました。 ここで設計の本質ではないですが、ただ建築設計設計だけが突っ走るのでなく、いろいろな方々と打ち合わせを行い、段取りをし、お互いに歩調しながら、1つの物を完成させることを学びました。 その後5年ほどいましたが、ここでリーマンショックが日本を襲ってきました。 私も影響を受け、やむなく派遣をやめることになります。 今でもこの時のことは忘れることはなく、これより最悪な事はもう起きないだろうと思うくらい、 落ち込んでしまいました。

約10年ほど東京にて多くの設計事務所に在籍して、いろいろなものを学びましたが、 6年ほど前に鹿児島に帰ってきて、建築をしております。 祖父と父も建築をしていましたので、幼少の時より建築に親しんでいましたが、 今までは現場にそんなに出ることもなく、職人と話すこともなく、机の上で数字と図面とパソコンンを見ながら うまく仕事がおさまるように考えていました。 実際に鹿児島に帰ってきてからは、各会社の方との打ち合わせ、施主の打ち合わせ、 職人との打ち合わせ、その中でもちろん現場は全く勝手が違いましたので 釘のひとつから金具のひとつから、私のわからないことが 多くあり、わからないことがあると、その都度、恥をしのんで聞いては、自分の知識に 足していきました。そのかいもあり、職人さんたちとは多くのコミニュケーションをとり、現場と図面とお客さんの意見を、なるべく現場へ届けるようにこころがけて現場をすすめるように心がております。

数年前に縁がありまして、ドイツに行く機会がありました現地で最先端の住宅の考え方、エネルギー問題について、政府の機関に携わる方々の話も聞きました。今日本で標準的に考えています換気などは、ドイツでは当たり前の 環境で、壁はほぼ塗り壁もちろんクロスもありますが、クロスは紙になります。 床は無垢の床を使っています。地下室もありますので、そこに大きな施設のエネルギー設備があります。屋根には太陽光を設置しており南側の窓には思考を確保するのに、南側大開口の窓を設置してます。日本と違いましてお国柄太陽の日差しをサンサンと浴びれない地域ですので、南側には大開口の窓を設置していました。 究極に冷暖房の無い(パッシブハウス)も勉強させてもらいました。 パッシブハウスを体験させてもらいましたが、とても快適で、無理の無い住宅で日本でもこのような住宅ができたらいいなーと思うようになります。 しかし国が違いますので全く同じ住宅システムですと環境も違いますので、出来ないとおもいますが、なるべくエネルギーの少ない住宅を目指しまして、できると思います。 このような住宅が本当に出来るかなと思いましたが、いとも簡単にできるようになります。もちろんノウハウが必要ですが、気密をよくし、断熱をよくし、換気計算をするこ事で、住宅のいい環境にいい、お財布にも優しい住宅なります。 他にも電力問題も勉強しましたが、国の地域性もありますので、ドイツと同じ事は出来ませんが、今言われていますバイオマス、太陽光、風力発電を盛んに、国の電力資源として取り入れていました。原発エネルギーゼロを目指していますので正しく今の日本の状況を直面したような国がドイツのような気がいたします。太陽光売電金額もドイツでは崩壊してしまいまして、日本もそのうちにそうなるとわかっっていましたが当時はどうなるかわかりませんでしたが、今はとうとう同じ状況になったなと思います。 パッシブハウスにする事で、エネルギー使用の少ないそして愛着のわく住宅を目指す事ができると思います。愛着が湧く事で長持ちのするご自分の住宅を手にする事が出来る、お手伝いをさせていただきたいと思います。

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