この敷地周辺の歴史について。
662年に建立され、明治時代の廃仏毀釈によって廃寺になった建穂寺があった。この家は、その建穂寺があった頃の門前町の土地割りの影響が色濃く残る住宅地にたつ家。
2006年竣工。
三方を山に囲まれており、山々や空の風景を住宅の生活のなかに採りこむことを主なテーマとしている。
当初は、夫婦ふたりと子供2人が帰省時に利用するというプログラムだったが、竣工から9年を経て、住人の構成が変わり、現在では、当事務所の自宅兼事務所として機能している。
家の中心に、リビング・ダイニングの空間の南北に大きなガラス窓を設けパサージュのような空間をつくりだし、そこを起点として2階の室、1階の室にアクセスできる構成としている。
内部空間は、パサージュのような空間を中心としたワンルームとして計画しており、生活者同士の気配を常に感じながら暮らすことができるとともに、各自の居場所を確保している。
南北に妻面をもつ切妻の形式とし、南北に空気、視覚が通過する軸をもつ。この軸は、廃寺となった建穂寺の観音堂の遺構から木枯しの森(平安時代の枕草子にて森は木枯しの森と読まれた歴史ある森)を臨むヴィスタの軸と呼応するものである。