この家の屋上は持ち上げられた地面である。
そこには草木が生え、鳥が集まり、人々が集まるだろう。
そこには地上の生活と空中の生活の両方がある。
空気を含み、光を吸い込み、音を閉じ込め、人や物を抱擁する。
身の回りの埃、足元の野芝、地軸。上を向けば星。
春夏秋冬、朝昼夜、時々刻々二度と同じことはない。
敷地の広さは22坪。
廻りには公園が広がり角地でそう広くない恵まれた土地である。
当初、屋根に草を植えるつもりはなかった。
シンプルに無駄なく素直な家にするつもりだった。
それは限られた予算があったから。
「へんなことはしませんから。」と安心させようとしたら、
「少しくらいなら。お任せします。」この施主の一言が運命の分かれ道。
とにかく施主と設計者があれこれイメージをふくらませているうちに
屋根の上に上がりたいという、施主の欲望までもが溢れかえっていた。
屋根の上に草を植えることを通告した時も施主に動揺は見えなかった。
そうやって「草屋根の家」が始まった。
限られた予算と敷地の広さから考えるとボリュームコントロールは容易だった。
しかしコンパクトであればあるほど
人の行動や身体感覚への眼差しが如実に表れてくるので
設計は簡単ではなかった。
日本人には小さな空間をうまく使う知恵が備わっているように思う。
空間としては、確かに人間の身体寸法というデッドエンドはある。
住空間を狭めていくとその極限にすぐ行き当たってしまいそうだけど、
むしろ追い詰めるほど新たな空間が現れてくることがある。
だから22坪の敷地では屋根に草を植えることは必然だった。
その難しさを克服して出来たこの小さな家は、
どこか人間という動物の「巣」を現代的に表出させたような
雰囲気を持たせることが出来た。