2016年3月31日、建築家ザハ・ハディド氏がこの世を去りました。建築家としては、これからまだまだ新しい建築を創り出していくことが期待される、65歳という年齢での早すぎる死でした。日本の多くの方にとっては、先の2020年東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場における白紙撤回された問題で一躍有名になりましたが、今回は彼女への追悼の意を込めて、ここで改めて彼女自身そして彼女の建築デザイン、建築界にもたらした功績について、みなさんに紹介していきたいと思います。
イラク、バグダッド出身のザハ・ハディドは、1972年にイギリスへ移り、ロンドンにあるAAスクールで建築を学びます。その後卒業すると、1979年には独立して自身の事務所を構えることとなります。しかし、コンペに勝ちながらも、その圧倒的なデザイン力による建設不可能な形態あったり、建設費が高騰してしまうことなどから、独立してから十数年間は実際に建築が建てられませんでした。そうしたことから、いつしか彼女は「アンビルトの女王」と呼ばれるようになりました。そういった意味では、新国立競技場の結果も彼女らしい結末だったのかもしれません。彼女の建築が初めて実際に建設されたのは1993年の、独立してから14年後のことでした。
彼女のデザインスタイルは、1983年の香港でのコンペで1等と獲得した案に見られるように、初期のデザインは「爆発した建物の破片」のような鋭さと宙を舞っているような浮遊感を持っていました。最初の建築実作となる1993年のヴィトラ消防署でもそのような鋭い形態と垂直水平を無視したような自由な建築要素の構成が見られます。その後、時代を追うごとに徐々に角が取れていき、最近の作品に象徴される、流れが見えるような流動性とダイナミックなデザインへと変化していきました。
時代を追うごとに彼女の実現される作品数も増えていきます。その大きな要因となったのが、テクノロジーの発展により、コンピュータを使った三次元解析が可能になったり、施工技術や建築素材の性能が進歩したことが挙げられます。こちらのオーストリアのインスブルックにあるノルドパーク・ケーブル駅のデザインは、氷の形態からインスピレーションを受けたように、もはや直線のない滑らかな曲線だけで形作られた庇のような構造物が浮遊しているような軽やかな印象を受けます。このような一昔前までは実現が不可能だったデザインも、テクノロジーが彼女に追いついたことはもちろんですが、この挑戦的なデザインを必ず実現させようという構造家などの技術者たちの知恵と努力の賜物とも言えるでしょう。
彼女の垂直水平を無視した斜めの壁や水のような流動的な形態は、結果的に建築の施工技術や素材の発展に大きく寄与することとなりました。最終的には、柱のない巨大な建築の建設にも成功しています。ただ、その傾斜した壁や曲線で構成させる空間は、使いやすさなどの機能性や建設費などの経済性の観点から、しばしば批判されることもあります。それは、ルネサンス期にミケランジェロがマニエリスム様式の建築をデザインした時に斬新すぎたため批判されたように、彼女のデザインも斬新であるのか、あるいは単に奇抜であるのかは、これからも議論されていくことでしょう。
基本デザインから、すでに着工している建築などいくつもの進行中の建築を、今もザハ・ハディドの建築事務所は抱えています。彼女による北京新空港も数年後に完成予定ですが、無事に実現すれば世界最大のターミナルとなるということです。このように、彼女の息がかかった建築はまだまだ建てられていく可能性があります。したがって、彼女に対するはっきりとした評価をするのは、まだ時期が早すぎます。今は、出来るだけ多くの彼女の建築が実現し、建築界にまだまだ新たな驚きをもたらしてくれることを楽しみに待っていましょう。
ご冥福をお祈りいたします。